2015年09月21日

「私たちが口にするべきことば」ヤコブ書3章2‐12節

私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。(聖書)

使徒ヤコブが正直に告白している通り、私たちは多くの点で失敗をするものです。特にことばで失敗する事が多いのではないでしょうか。それも、言わなければならない場面で言えない失敗より、言わなくても良い事を言ってしまう失敗が多いと思います。

神に似せて創造された人間だけがことばをもっており、神と同じように私たちのことばにも力があります。この事実を私たちは神を敬い畏れる心で正しく受け止めなくてはなりません。ことばの力によって天と地を創造された神と同じように、実は私たちもことばによって状況を創り出しているのです。相手のために語る真実な愛のことばによって相手との麗しい関係が創り上げられます。反対に、自分の事だけを思う冷たい言葉によって相手を傷つけ、その関係を壊してしまうのです。私たちは意識して尊いいのちの関係を保ちましょう。

使徒ヤコブが表現するように、ほんの小さなことばが、手がつけられないほど大きくなり、全体を焼き尽くすまでに拡がるのです。あっという間に関係を破壊してしまう大きな力があるのです。先週、詩篇1篇で「昼も夜も主の教えを口ずさむ」と教えられました。神の子である私たちが口ずさむのは、無意識な鼻歌まじりの歌ではなく、意識的に分別された父の教えでありなさいと教えるのです。父なる神が口にされたことばは、全て私たち神の子たちを生かす内容です。その意味が分かる私たちは、父と同じように、相手を生かすためのことばを意識して口にして語り合いましょう。

そのためには真実な悔い改めしかありません。私たちの心にある冷たい他人の思いと言葉を捨て去り、互いに生かし合う父なる神のみことばを絶えず受け取り、それを口にして語り合いましょう。「あなたがたのことばが、いつも親切で塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、一人一人に対する答え方が分かります。」コロサイ書4章6節



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