2025年01月18日
「みことばを行う人になる」ヤコブ書1章19~25節
19 私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。
20 人の怒りは神の義を実現しないのです。
21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
23 みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。
24 眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。(ヤコブ書1:19~25)
聖書は私たちに、祝福される歩みを教えています。ぜひとも祝福を受け取りましょう。
19~21節、「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。人の怒りは神の義を実現しないのです。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」
この世には二つのことばがあります。一つは神のことばです。これは私たちに愛、喜び、平安を与えてくれます。もう一つは人間のことばです。愛の神から離れた人のことばは私たちに怒りや憎しみ、不安や蔑みなど悪い感情を与えるのです。私たちは、どのことばを聴くべきなのか、どのことばを受け入れるべきなのか、どのことばが私たちを幸せにするのか等、分別が重要となります。私たちは、神の子にふさわしくない汚れ、どんどん溢れて来る悪を捨て去り、愛の神のことばを選び取り、これだけを受け入れましょう。
22~24節、「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。」
私たちは、聴くべきことばを分別するだけでなく、この愛の神のことばを行う人になりましょう。せっかく神のことばを聴いていながらも行わないなら、この世の歩みの中で、どのように進むべきかを忘れてしまい、この世の価値観や耳にする様々な人のことばによって影響を受けて、右に左にと揺れ動く人生となってしまいます。私たちはそのような不安定な歩みではなく、主のみことばにしっかりと根を張り、堅く立ち、みことばを行う者たちとなりましょう。
25節、「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」
愛の神のみことばは、まことの自由を私たちに与えてくださいます。それで、聖書の中にある「〇〇しなければならない」との教えも、私たちを狭く小さくする支配的で律法的なことばではなく、どこまでも私たちを愛する神が、その愛のことばをもって私たちに正しい秩序を与え、それに基づく麗しい調和の世界を創り上げてくださるのです。この神の愛が分かる者だけが、そのことばを生活の中で実践し、互いに赦し、互いを大切にし、互いに愛し、互いに生かし合う、最も幸せな祝福の人生へと進んでゆくのです。
本日の招詞も心に留めましょう。詩篇119篇50節、「これこそ悩みのときの私の慰め。まことにあなたのみことばは私を生かします。」私たちは、この世を簡単には歩めません。神の愛とは異なるこの世の価値基準は、既に私たちの心に入っていますし、愛の神から離れた人々のことばは、上手に私たちの心に入り込んで来るのです。日々の生活の中で、色々と考え、悩み、苦しみ、出口の見えない状況に陥る事もあるでしょう。その時は、私たちに愛と喜び、平安と祝福を与えてくださる父なる神のみことばに堅く立ちましょう。みことばに生きましょう。ここに最も素晴らしい祝福があるのです。
20 人の怒りは神の義を実現しないのです。
21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
23 みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。
24 眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。(ヤコブ書1:19~25)
聖書は私たちに、祝福される歩みを教えています。ぜひとも祝福を受け取りましょう。
19~21節、「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。人の怒りは神の義を実現しないのです。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」
この世には二つのことばがあります。一つは神のことばです。これは私たちに愛、喜び、平安を与えてくれます。もう一つは人間のことばです。愛の神から離れた人のことばは私たちに怒りや憎しみ、不安や蔑みなど悪い感情を与えるのです。私たちは、どのことばを聴くべきなのか、どのことばを受け入れるべきなのか、どのことばが私たちを幸せにするのか等、分別が重要となります。私たちは、神の子にふさわしくない汚れ、どんどん溢れて来る悪を捨て去り、愛の神のことばを選び取り、これだけを受け入れましょう。
22~24節、「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。」
私たちは、聴くべきことばを分別するだけでなく、この愛の神のことばを行う人になりましょう。せっかく神のことばを聴いていながらも行わないなら、この世の歩みの中で、どのように進むべきかを忘れてしまい、この世の価値観や耳にする様々な人のことばによって影響を受けて、右に左にと揺れ動く人生となってしまいます。私たちはそのような不安定な歩みではなく、主のみことばにしっかりと根を張り、堅く立ち、みことばを行う者たちとなりましょう。
25節、「しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」
愛の神のみことばは、まことの自由を私たちに与えてくださいます。それで、聖書の中にある「〇〇しなければならない」との教えも、私たちを狭く小さくする支配的で律法的なことばではなく、どこまでも私たちを愛する神が、その愛のことばをもって私たちに正しい秩序を与え、それに基づく麗しい調和の世界を創り上げてくださるのです。この神の愛が分かる者だけが、そのことばを生活の中で実践し、互いに赦し、互いを大切にし、互いに愛し、互いに生かし合う、最も幸せな祝福の人生へと進んでゆくのです。
本日の招詞も心に留めましょう。詩篇119篇50節、「これこそ悩みのときの私の慰め。まことにあなたのみことばは私を生かします。」私たちは、この世を簡単には歩めません。神の愛とは異なるこの世の価値基準は、既に私たちの心に入っていますし、愛の神から離れた人々のことばは、上手に私たちの心に入り込んで来るのです。日々の生活の中で、色々と考え、悩み、苦しみ、出口の見えない状況に陥る事もあるでしょう。その時は、私たちに愛と喜び、平安と祝福を与えてくださる父なる神のみことばに堅く立ちましょう。みことばに生きましょう。ここに最も素晴らしい祝福があるのです。
Posted by 沖縄天久神の教会 at 15:57│Comments(0)
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