2025年01月01日

「朝ごとに神に守られる私たち」イザヤ書33章2節

「主よ、あわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに私たちの腕となり、苦難の時の、私たちの救いとなってください。」(イザヤ33:2)

新しい年となりました。皆さんは何を願い、何を祈られたでしょうか。健康であったり、平和であったり、安全であったり、繫盛や繁栄であったり、目標達成であったり、幸せであったりするかも知れません。

特に、昨年の苦難が大きければ大きかったほど、今年は苦難を遠ざけてくださるようにと願うでしょう。ただ、この世を歩む中で、避けては通れない苦難もありますので、今がその苦難の真っただ中と言う方も、今はそうでなくても今後、何らかの苦難を通る事があるかも知れない方々も、本日のみことばを心に収めて頂きたいと思います。このみことばは、私たちの心を支えてくださいます。

イザヤ書33章2節「主よ、あわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに私たちの腕となり、苦難の時の、私たちの救いとなってください。」
この祈りは、突然に出て来たものではありません。少し背景を説明すると…イスラエルの国は、主なる神から「悔い改めて立ち返りなさい」との愛のことばを何度も受けていながら、決して主なる神に頼る事をしませんでした。諸外国がイスラエルを攻めて苦境に立たせられても悔い改める事をせず、いつも自分たちの判断が正しいと思い、人間的な発想や方法で危機を脱しようとします。
 
たとえ一時的にはうまくいっているように思えたとしても、これら人間的な発想や方法では、必ず誰かが傷つき、踏みにじられ、辛い思いをしているものです。これらが、いつかはひっくり返り、思ってもみなかった状況に陥る事もあるのです。それでもイスラエルは悔い改めませんでした。

そこで、神の愛の心を知っているイザヤは、主なる神の愛の心に訴え、あつく祈ったのです。私たちは、たとえ苦境にあっても決して悔い改めないイスラエルにではなく、私たちもイザヤに心を合わせ、神の愛の心に頼りましょう。主なる神の守りと助けを待ち望みましょう。このまことの神だけが、朝ごとに私たちの腕となり、力強い助けとなり、苦難の時の私たちの救いとなってくださるのです。

ここで大切な事は「朝ごとに」神が私たちの腕となってくださるという事です。イスラエルでは、一日は「夕の日没」から始まります。やがて、どんなに真っ暗な闇があっても、必ず光の「朝」が与えられるのを毎日の生活の中で教えられているのです。たとえどんなに闇が大きくても、たとえ自分の力でどうにもできない状況であっても、苦しい状況、悲しい状況であっても、神は必ず光の朝を与えてくださり、その朝ごとに私たちの力強い腕となり、私たちを守り、支え、祝福してくださるのです。このように主は私たちの救いとなり、確かな望みとなってくださるのです。

まことの神の愛を知らない人たちは「苦しい時の神頼み」と言ってあざけるかもしれません。しかし、誰しも人生の中で苦しい所を通るのですから、自分ではどうにもできないその苦しい時に、寄り頼む方がいないのは悲劇でしかないでしょう。しかし、私たちには、苦しい時にこそ寄り頼む主なる神がおられるのは、何という幸いでしょうか。

本日の招詞は、神の絶大な守りへと私たちを導いてくださいます。「苦難の日に、主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の御名があなたを高く上げますように。(詩篇20:1)」神の子であるあなたの苦難の日に、父なる神が確かに応えてくださるのです。この父の愛に信頼して歩み続けましょう。



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